昨夜、高2息子くんからいつもより少し早い時間に電話があった。かけ放題プランの奥さんが折り返す。
電話口から伝わってくるのは、ガサガサとした、ものすごい空気感。
声のトーンは、もう怒りモードというか、大荒れモードに入っていて支離滅裂だ。断片的な情報を積み重ねていくと、どうやらバイト先でかなり理不尽なことを言われ、凹むというよりは、ひどく嫌な気分でイライラしていたらしい。
さらに下宿に戻ると、下宿のおばちゃんが体調を崩していて、早めの時間に間に合わなかったのか何なのか不明だが、夕食を食べそびれてしまったようだ。
事実確認ができないから、誰が悪いとか誰が正しいとは言えない。けれど、息子の思い通りにならないことが二つか三つ、立て続けに起こったらしい。
それに対して、猛烈にイライラしている息子。
北の大地と遠く離れた東京から、できることなど何もない。電話の話を聞くばかりだが、電話の向こうから、マイナスイオンの逆、プラスイオンが充満しているのが伝わってくるようだった。
奥さんが必死に聞き出そうとし、なだめようと話しかけても、
「どうせ大人なんか信じられない」だとか、
「俺はこんなに頑張ってるのに、まだそんな言い方するのか」だとか、
「何を言っても俺は最悪の被害者だ!」というモードに入ってしまい、
何も彼を助けることができなかった。
しまいには一方的に電話を切られる。
そんな始末だ。心底凹んだ。
我が家に突然暗雲が立ち込める。楽しい会話ができるような状態ではなくなってしまった。
妻は頭を抱え、ざわざわした落ち着かない様子で、深刻な顔をしている。
そんな時、俺にできることと言ったら、慌てずに「でんと構え」つつ、妻に「大丈夫だよ」と言ってあげることぐらいだ。
しばらく、彼が今どんな状況なのか、どんな心の状態なのか、何が起こったのか、頭の中で膨らませ、ひたすら祈った。
「祈ることぐらいしかできない」とよく言うが、まさにその通りだ。
祈るプロセス。これはもちろん宗教的なものも含まれるが、「祈る」こと。
そこに思いを馳せる、思いを馳せることによって、何らかの形で現実が変わってくる。
そこが重要だと思っている。
突き放したり、拒絶したり、放置したり、ほっといたりするのではなく、積極的に関心を持つ、関与する。
それが、そのきっかけが「祈り」なのだと思う。